九州片田舎でホームエデュケーション★あここママ日誌

息子は小3のはじめ、担任との出来事をきっかけに不登校に。そして学校教育という枠の中で学ぶことが合わないと自らホームエデュケーション選択しました。ホームエデュケーションの日々、感じたこと、その他綴ってます。

不登校は不幸じゃないin熊本合志市

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不登校は不幸じゃない」というイベントの名前から、「不登校は不幸だ」と世間のイメージが背景にあるのかもしれません。 

 また、多くの当事者達や保護者達は、

 

今はそうでなくても「不登校の自分 または不登校の子どもがいて不幸だ」と思った経験があるのかもしれません。

 

私達親子にもそういう時期がありました。

 

息子は九州片田舎で不登校になり、只今ホームエデュケーションを選択中。
ホームエデュケーションママあここです。

 

私は、不登校は不幸じゃない と確信を持って言っていいと思います。

 

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2018年8月19日(日)
 
不登校は不幸じゃない」というイベントに参加してきました。
 
「学校は行かなくてもいい」の著者である小幡和輝さんが発起人として
この日全国100箇所で行われたイベント。
 
2日前に知り、息子も連れて行こうと決め、
 
行く準備をすると、お腹が痛いとトイレに何度も行く息子、
「やっぱり行くのは無理」だと。。。
 
2時間弱の道のり。。。息子が行かないなら。。。一度あきらめようとした。
 
しかし、やっぱり行きたい!!
 
息子を車に乗せ、DVDを見せながら出発、
 
途中、阿蘇の観光地を通過するため夏の盛りの日曜日、
トイレ休憩するにも駐車場にも入れないほど、
途中であきらめて戻りたくもなった。
 
しかし、強い意志で、熊本ー大分の県境から合志市の会場、
マンガミュージアムに無事到着!
 
ドキドキしながら開始時間に会場に入ると、既にたくさんの人が座っていた。
 
熊本では小学校から不登校で今は通信制高校に通い、
教育に関心があるという女子高生の成毛さんが主催されていた。
 
当事者より保護者の数が多く、会場に入りきれなくなり、別棟に移動することに。
 
息子は大丈夫かなぁと心配しながらも、当事者のグループに置いてきた。
 
保護者は小学校、中高校と二つのグループに別れたが、
圧倒的に中学校が多いようだった。
 
5歳娘を連れて来たので、長い間話ができなかったが。
 
同じ思いをしてきた保護者のみなさんと出会え、
それぞれの方のお話を聴きながら、
「あ~わかるわかる!うちもだ!」と強く共感。
 
まるで「ウワサの保護者会」(Eテレ)に参加しているような。
 
私はこういう場所が初体験だったので、
 
普通に学校の保護者さんとは話せない内容が、
ここなら素直にできる、わかってもらえる!と感動。
 
担任の行き過ぎた(暴力的)指導で怖くて行けなくなった、
 
担任に理解がない、
 
行けない理由を聞いても本人がまったく話してくれないからわからない、
 
家にいて全く学習をしないので、先が心配、
 
兄弟姉妹ともに不登校
 
熊本市フリースクールは出席扱いにならない、
 
などなどの話があがっていた。
 
このご時世に不適切な指導を行う先生や理解のない先生が存在し、
 
申し立てても対処しない学校、教育委員会が存在するという熊本県の現状。
 
それは私も疑問を感じてきたこと。
 
そして、KABテレビが取材に来て、
息子が取材OKしてくれたけれどよいか?と聞かれ、
 
親子ともにインタビューを受け、翌日のテレビニュースで紹介された。
 
息子は当事者同士の話し合いに参加し、
女子中学生も「あの子の話は的確、的を得てるね」と言っていた。
スタッフの方とも打ち解けて、会場のプログラミング体験も楽しんでいた。
 
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不登校中の子ども達はしっかりと「自分」を生きている。
 
不登校の保護者は真剣に子どもと向き合い悩んできたことで、子どもの全てを「受容」できる器の大きさを持っている。
 
そんな印象を受けた。
 
ひとことに、「参加してほんとによかった!」
行くのあきらめそうになったけれど、
 
ここでの出来事、人との出逢いは大きい。
 
あきらめて行かなかったら、そんな収穫もなく、これまでと変わらず
孤独との戦いだったと思う。
 
インタビューされたニュースを延岡の両親も見て、
夏休み明けに戻ると、両親も意識が大きく変わったようにみえた。
 
参加してみて改めて思った。
 
学校という枠から外れたら居場所がない現状を変えていく必要がある。
 
学校に通わないこともひとつの生き方である。
 
世間にそういった認識が広がっていくとよい。
 
多様な選択できるようになれば不登校は不幸ではなくなる。
 
いや、そうなったら「不登校」という言葉自体が消えてなくなるのだろう。