九州片田舎でホームエデュケーション★あここママ日誌

息子は小3のはじめ、担任との出来事をきっかけに不登校に。そして学校教育という枠の中で学ぶことが合わないと自らホームエデュケーション選択しました。ホームエデュケーションの日々、感じたこと、その他綴ってます。

不登校はじまりの頃の話⑨再び通えなくなった

f:id:asoiyashi:20180927120223j:plain転校した学校の校長先生はつねに息子の目線に立ち、学校側ができる限りの支援をしてくださいました。しかし、わざわざ転校して実家での居候生活をはじめたものの再び不登校、私はつねに両親と板挟みでした。

息子は九州片田舎で不登校になり、只今ホームエデュケーションを選択中。
ホームエデュケーションママあここです。

 

息子小3時代、不登校のはじまりの頃の話です。

  

2017年11月

 

理解ある校長先生に心を開き、校長室登校をしていた息子。

 

校長先生は集団が苦手な息子のために

 

パソコン教室横の物置になっている教室の空きスペースに息子が一人で居れるスペースを作ってくれた。

 

疲れたらリラックスできるように床には畳も敷いてある。

 

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校長室にしばらく居て落ち着くと、そのスペースに上がり、自主学習をする、

 

空いている先生がちょくちょく様子を伺う、という流れになっていた。

 

その前に支援学級にも机を置いてみたが、

 

一人通っている児童がいて、その子と先生で出来上がった学級のペースに

 

なじめなかった。その時学級を担当していた先生も理解がなかった。

 

校長室登校とはいえ、やはり校長先生も多忙で、

 

空気を読む息子は校長先生が忙しくなると自分のスペースに帰るが、

 

「僕がいることで先生方に迷惑をかけているのじゃないかと思う。」

 

ということをつねに言っていたという。

 

やはり、学校に着いても泣いて帰ることになる日も多かった。

 

その頃の私には自分を犠牲にして、息子が自分から行ける、と言ったから

 

わざわざ実家に戻ってきて生活しているというのに。

 

転入を受け入れてもらって、先生方にもこれだけ気をつかってもらって、

 

よくしてもらっているのに。

 

と息子に苛立ちを感じることもあった。

 

学校に行ったのにすぐに帰ってくるので

 

同居している両親からも色々と言われる。

 

お願いだから、実家なんだから、行ってよ、また怒られる、気をつかうじゃん。。。

 

という気持ちになっていた。

 

泣く息子を連れて帰り、責める両親の前で、

 

私は息子を怒り泣き崩れる、という日もあった。

 

息子は次第に、朝はまったく起きようとしなくなり、

 

学校からは足が遠のいていく。

 

行ける時は私も数時間、同伴登校していたが、忍耐だった。

 

しかし、寒くなる頃には再び不登校となった。

 

 

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