九州片田舎でホームエデュケーション★あここママ日誌

息子は小3のはじめ、担任との出来事をきっかけに不登校に。そして学校教育という枠の中で学ぶことが合わないと自らホームエデュケーション選択しました。ホームエデュケーションの日々、感じたこと、その他綴ってます。

不登校はじまりの頃の話

本人が語る不登校初期の闇

この時期、小学校で文集作成に入るため、担任の先生から作文などの素材を求められます。しかし、学校に通っている小学生という枠からは大きく外れた道を歩んでいる息子です。

不登校はじまりの頃の話⑪実家居候と不登校の厳しい冬

不登校親子にとって、親族など身近な人の理解がないと、大変なストレス、葛藤を生み出します。わざわざ転校し実家に居候したものの再び不登校、つねに両親との板挟みは私にとって地獄の日々でした。

不登校はじまりの頃の話⑩話のできない小児科の先生

私が今、通信制大学で学んでいる科目で特に興味深かったのが 障害児・障害者心理学。障害とは、機能的な障害はもちろんですが、周囲の人の接し方など環境によって生じるものだということも学びました。

不登校はじまりの頃の話⑨再び通えなくなった

転校した学校の校長先生はつねに息子の目線に立ち、学校側ができる限りの支援をしてくださいました。しかし、わざわざ転校して実家での居候生活をはじめたものの再び不登校、私はつねに両親と板挟みでした。

不登校はじまりの頃の話⑧フラッシュバックと理解ある校長先生

息子小3時代、不登校のはじまりの頃の話です。学校に復帰したのもつかの間、本人、すごく頑張っていたのだと思います。転校して出会えた、理解ある校長先生の存在は貴重で、ありがたいものでした。

不登校はじまりの頃の話⑦これで不登校卒業!?

久しぶりに緑のランドセルを背負う息子をみて奇跡のように思えた、だけどどこか違和感がある、そんな転校先での新学期スタートでした。

不登校はじまりの頃の話⑥夏休み転校を決意

不登校中のはじめての夏休みは先生方の動きもストップ、学校に行っていないことのプレッシャーから逃れられる安全基地のようなものでした。息子小3時代、不登校のはじまりの頃の話です。当時、苦渋の決断でしたが、今は間違っていなかったと思います。

不登校はじまりの頃の話⑤息子だけの適応教室?

当時の写真 テントの中で学習中。当時不登校になった時の学校は九州片田舎どころかとっても田舎の山中、人口数千人の小さな町でしたので、適応指導教室もフリースクールもありませんでした。

不登校はじまりの頃の話④バッシング

今となると、田舎の山中の小学校で、不登校になると珍しさからこんなこともあるのかもしれない、どこにいても色々な考え方の人がいる と客観的に思えるようになりましたが、今でもちょっとトラウマが残る出来事です。

不登校はじまりの頃の話③毎日家庭訪問地獄

当時の写真 毎日日課のお手伝い 草刈りをしていた。不登校になって学校とのやり取り、これが一番保護者にとって大変な最初のお仕事のように思えます。不登校児、そして保護者の心理について、学校側の理解がないともっと大変です。

不登校はじまりの頃の話②スクールカウンセラーとは?

当時の写真 もくもくと図工の絵を家で仕上げる。息子小3時代、不登校のはじまりの頃の話です。私は今、通信制大学で心理学を学んでいます。今思うと、私にとって心理学を学ぶきっかけになった出来事のような気がします。改めて、支援のあり方について考えさ…

不登校はじまりの頃の話①罵倒する先生そして不登校がスタート

学校は安心して子どもを預けられる場所ではないことを知った出来事でした。この日を機に息子にとって頑張ってきた学校生活へのモチベーションは一気に崩れ、長い長い不登校生活が始まりました。